私は、中学校の頃につきましては、先生に対する思い入れとしまして、私は、一時期中学校でイジメられたことが原因で不登校になる形で、奈良では保育園の話題を聞くと自宅に引きこもってしまったことがあるのですが、先生が何度も私を立ち直らせようと手紙を送ってくれたり、イジメた生徒達と一緒に家庭を訪問してくれるような形で、私にとっては、非常にその時は放ってほいて欲しいと言う形であったのですが、何度も何度も訪問してくださる形で、毎日夜でも嫌と言う程きてくれた形でありましたので、保育士で採用できる奈良の大和高田では私も少し会ってみようかな?と言う気になってお会いしたケースがありました。もし今振り返ってみれば、しつこい位にコンタクトを取ってくださる先生がいなければ私は、今よりももっとダメ人間になっていたのではないのかな?と言う形で思ったりします。やはり恩師と言う存在は、自分のことを真剣に考えて行動にうつしてくれる人間であるのかな?と思いました。しつこい位の指導のある先生や厳しい先生程後になって出会えて良かったなと思える先生になる形でありますので、またいつ開かれるか分からない同窓会の際に先生が居られたら、その時には、私のことを覚えていらっしゃるかわかりませんがお礼を申し上げたいなと思っております。
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給食で苦戦していた幼稚園時代に救われた言葉
かなり昔の話になりますが、私の通っていた幼稚園では週に2回給食がありました。奈良でも評判の大和高田の保育園では私はかなり小食でさらに偏食もある子どもで、給食が鬼門でした。お弁当の日は母が好きなものを食べれる量だけ入れてくれたのでよかったのですが、給食の日はそれだけで気分が沈んでいました。評判の保育園は奈良でも先生からは「半分は食べなきゃダメよ」と言われていて、その半分がまるで拷問のように感じていたのです。周りのお友達もなかには給食を食べきれない子もいましたが、私ほどに苦戦しているようには思えませんでした。そしていつも給食の時間は最後まで残されて、小さいなりに屈辱感も味わっていました。そして私は好き嫌いなく食べられない自分はダメなんだ…といつしか思うようになっていました。そんなとき、幼稚園に見習いの若い先生が入りました。まだ担任はもたず補助としてついていたので、給食が食べられなくて残されている私につきそってくれました。その時にその若い先生が「私も嫌い物たくさんあるの。大人になって食べられるようにはなってきたけど今も本当は嫌いなものたくさんあるよ。頑張って食べててえらいね」と言ってくれたのです。食べられないことに関して自己嫌悪を感じていた私は、大人は何でも食べられて、そうでなきゃ大人になれない・・・くらいに思っていたので目から鱗でした。そしてはじめて気持ちをわかってくれた先生が現れて、嫌いなものがあってもよいんだという気持ちにもなり、その後も給食で苦戦はしながらも気持ちは格段に楽になったのです。子どもの世界は狭く、言われることがそのまま真実です。そのため「私も嫌いなものあるんだよ」と言ってくれた先生に今でも感謝しています。