こんばんは。僕は31歳の男性です。現在の職業としてはフリーランスのライターとして活動中です。神戸でもインターナショナルスクールといえるものには僕が幼稚園だった頃のエピソードで、とても嬉しいエピソードがありますので今日はそのエピソードについて記事を執筆していきたいと思います。僕は身体が弱くて幼稚園の年長からしか行けませんでした。とても周囲から孤立していた僕でしたが、そんな僕に対してまるで母親のように接してくれた先生がおりました。その先生のお蔭で孤立することもなくなり、すぐに友達ができて楽しい幼稚園ライフを送っておりました。岡山でおすすめの根管治療ならここ以外にはもっとそんな時に僕の母親が妊娠をして弟が出来たということが分かりました!この時は「僕にも弟ができるんだ!」と思って嬉しかったことを昨日のように覚えております。あまりにも嬉しくて、先生に言ったら「そう!良かったわねぇ~!おめでとう」ととても喜んでくださいました。そして、それから3ヶ月後に出産をした母親でした。落ち着いてから先生が、「これお母さんに渡してね」と言って可愛らしい包みをくれました。それを母親に渡したら母親は嬉しくて泣いておりました。すぐに幼稚園に電話をしてから、次の日に先生に会いに行ったそうです。母親は「先生はとても子供が好きな人なんだよ。●は先生を大切にしないとダメだよ」と言っておりました。母親は今でもこの時に先生が手作りで編んでくれた靴下を大切に保管しております。この間、コンビニで先生に偶然お会いして、この時の靴下の事をお話したら、とても喜んでおりました。そして、「コロナに気をつけようね!」という感じでお別れしたのですが、今でも子供が好きとかで幼稚園に非常勤で働いているらしいです。このような先生は本当に生徒や保護者からするととても素敵な先生ですし、大切にしたい先生だと思いました。
月別アーカイブ: 2021年1月
鬼のような先生と20年ぶりの再会
私は、今はもう小学校も無くなってしまった田舎に住んでいたので、保育園もクラスは複式のとても小さな所で、先生はN先生とM先生のお二人だけでした。神戸もインターナショナルスクールと呼べることにN先生はとても優しく皆に好かれていましたが、M先生は鬼のように怖い先生で、M先生の姿が見えた途端、幼いながらにピリピリした記憶があります。特に食べ物に厳しく、絶対に給食を残してはいけないと、他の子達がお昼休みで遊んでいる中、間食するまで泣きながら給食を食べている子の様子を今でも思い出す事ができます。好き嫌いのとても多い同級生の女子と、たまたま嫌いな物が出た日替わりの子。毎日そんな感じでした。
11才の頃、尼崎の胃カメラ検査で評判のクリニックではと私は引っ越しましたが、社会人になったある日、かつて住んでいた町へ親戚を訪ねて行き、長閑な田舎町を懐かしく散歩していると、なんと畑仕事をするM先生をお見掛けしました。そう言えばM先生は同じ町に住んでいましたが、とにかく怖かったので、お住いも遠巻きに見ていた程度でした。その先生を20年ぶりくらいにお見掛けしたのです。
先生は私に気付き「こんにちは」と挨拶され、「ん…?○○ちゃん?」とかつて同じ小さな町に住み、小さな保育園を巣立った私の名を呼んで下さったのです。
先生はとても小さく、とてもにこやかで、大人になった私は「ええ!M先生ってこんな人だった?こんなに軟らかな、にこやかな人だった?」と内心驚きながらも、先生が近況を訪ねて下さるままに少しお話をしました。
M先生はきっと良い先生だったのだろう、好き嫌いをなくす事、私達の良い習慣付けや健康作りに一生懸命だったのだろう、幼い私はそれに気付けなかった…と、会えてよかったと、先生が大好きになった私です。
ずぶ濡れの私を気遣ってくれた先生
私が保育園に通っていた1996年の梅雨の真っただ中。年齢にして5歳になったばかりの頃と記憶しています。この日、そのエレメンタリースクールなら神戸でもこんなにも忘れられない出来事が起こりました。今でも鮮明に頭の中を駆け巡る記憶です。
この日、庭で遊んでいたら急に空が分厚い雨雲で真っ暗になりました。私はその時、園の側溝でミミズを捕まえて遊んでいました。同級生達はそれを見て急いで教室に走って戻りましたが、私は途中で転んでしまいました。痛くて泣いている間に雨にずぶ濡れになりました。
メディカルゲートがおすすめするクリニックはもっと雨でずぶ濡れになって困り果てた私を見て、担任の先生は替えのTシャツとズボンを出してくれました。私は替えの衣類をその日に送迎した母から渡されていなかったので、このまま母に頼んで着替えるために家に一旦帰してもらおうかと思ったほどでした。ですが、この気遣いに私はまず第一に先生に「ありがとう」と言い、それに対して先生は「大切な保育園の仲間だから当然だよ!」と返してくれました。辛い時に優しくしてもらった経験というのは、現在(2020年12月時点)覚えている中ではこの時が初めてです。
2014年3月に大学を卒業し、どうやって神戸のインターナショナルスクールには私が保育園の先生。梅雨の季節に用意するのは、勿論園児が雨に濡れた時のための緊急用の衣類です。
保育園の先生の対応に感動した
家ではワガママな4歳の息子ですが、妹が生まれてからより一層ワガママになってしまいました。口コミで大和高田で保育士を採用するには赤ちゃん返りがなかった為、ワガママになったり自分の主張が優先されなかった場合に拗ねたりすることが多くなりました。赤ちゃんのお世話に手が取られているのに、お兄ちゃんのわがままが日々ストレスでした。可愛いのに上の子が可愛くないと思えてしまうのです。こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかではこれが、よく言われている「上の子可愛くない症候群」かぁと思いました。そんな息子に対しても保育園の先生は優しく対応している所を目の当たりにしました。今まで嫌がらなかったのに保育園に付いて見送ると足にしがみついて泣き出すのです。鳥取で根管治療を専門とする歯科医院はここでも先生は息子に対して、ママと離れるの嫌だよねぇ。今日は先生と何して遊んでくれる?あそこに虫がいるから一緒に見に行こう、など私には思いつかない方法で毎日寄り添ってくれています。私は上手く見送りができず、もうまま帰るよなどしか言えなかったのですごく勉強になりました。どうしても神戸ならインターナショナルスクールをと今では保育園に行くことも嫌がらないようになり、先生に妹のことを色々教えてあげているみたいです。まだ入園していないのに妹は先生やお友達に名前を覚えてもらっています。これからも先生の対応を真似して、少しでも良いママになれるように、頑張ります。この奈良では保育園の話題を聞くとどこへ行ってもとやっぱりお仕事とはいえ、先生は子供が大好きなんだなと日々実感しています。毎日ありがとうございます。