弟の先生の言葉

私と弟は9歳離れていて、多くはエレメンタリースクールからこんなに神戸でも弟は生まれた時から可愛くて可愛くて仕方がなかった。家族のために働いていてあまり帰ってこない父。育児があり仕事は日数を減らしていたが時々夕飯作りが辛そうな母。それを見ていたら私も何かしなきゃ自然にミルクもオムツ替えも離乳食作りも出来るようになっていた。9つ下の弟が保育園に通う時には私は中学生で、部活もあり、なかなか帰宅が遅くなることも多くなった。それでも、両親がお迎えに間に合わない日は私が迎えに行っていた。友達との遊びの約束や、先輩の誘いも断っていて、胸にチリチリと痛むものがあったが見て見ぬふりをしていた。そんなとあるテスト期間中の学校が早く終わった日、いつものようにお迎えに向かう片手には翌日のテスト対策集を握り締めていた。
宝塚市で根管治療ならおすすめはここでといっても夜遅くまで勉強したが、それでも隙間時間に勉強した。いつものように、担任の先生な挨拶がてら、お迎えに来た旨を伝え、弟を待っていると、そのまま職員室に案内された。わけがわからず、弟が何か問題を起こしたのか、逆に弟がトラブルに巻き込まれたの焦った。先生は、家に帰って面倒みたら勉強出来ないだろうから、他の園児達がみんな帰るまでのあと30分、良ければここで勉強していってと言ってくれた。知らず知らずに苦しさを抱えていたことを、お迎えに行っていたことから気付いてくれていたようだった。可愛い可愛い弟を嫌う手前の精神だったと今なら思える。あの時声をかけてくれた先生、本当にありがとうございます。今は少し生意気だけど、相変わらず可愛い弟です。

投稿者 7dmsxh