幼稚園の先生とお母さんの絵の思い出

私は幼稚園の時内気で人見知りが激しく、不器用な女の子でした。バイリンガルスクールでは神戸のここでも本当になって周囲の元気な子供達に圧倒されて、何をするにも萎縮して小さくなっていました。そんなある日のこと、もうすぐ母の日が近いということで「お母さんの絵を描いて、教室に飾りましょう」ということになったのです。昭和の時代は、よくこのようなことが行われていました。みんなはワイワイはしゃぎながら、どんどん絵を仕上げていきましたが、私はモジモジしていっこうに進みませんでした。そしてやっと描き上げたお母さんの絵は、今思うと「どうしてそうなったの?」という代物だったのです。あろうことか、立花駅界隈の人気歯科医院からはどうして顔と髪の毛を肌色一色でピッタリくっ付けて描いたので、見た目にはスキンヘッドです。ハゲ坊主の顔に黒い目と赤い口紅、そして首から下はなし、かなりのインパクトでした。教室に貼り出された時、当然皆が騒然となりました。「なにこれハゲ!変なの」と驚いた声、「お父さんじゃないの?」「違うよ、口紅してるからお母さんだよ」という議論の末、やはりお母さんだという結論に達したのです。そして遂に、こんな変な母さんを持つ子は誰なんだという犯人捜しのような展開になっていきました。私はその間生きた心地がせず、遂にバレた時には、皆からはやし立てられて泣いてしまいました。その時です。先生がスッとやって来て「Aちゃんがなんでお顔だけ描いたのか分かる?Aちゃんは優しいお母さんのお顔が一番好きなのよ。髪の毛とかお洋服とか関係なしに、お母さんが大好きなの。この絵はそれがよく分かる、とっても素敵な絵だと思うわ」と寄り添い背中をトントンしてくれました。先生の話に納得したのか、その後けなしてくる子はいなくなったのです。私は女神様に救われたような気持ちになり、心から安心しました。内気な私は、それまで幼稚園なんて行きたくありませんでしたが、その日から先生がいれば大丈夫、先生に会いたいと思って登園できるようになりました。どうやって神戸のインターナショナルスクールになって時を経た今でも、先生は私にとって女神様です。

投稿者 7dmsxh