保育園の先生で年長さんの時に担当してくださった先生がとてもいい先生でした。奈良の大和高田でなら保育園を一度やめていたそうなのですが、子供が大きくなったのでまた先生をはじめるということで、結構年配の先生でしたね。でも、やはり経験豊富なので、とても頼りになりましたし、いろいろ相談もしました。そしてある日、面談があり、保育園での出来事などを先生が話してくださいました。奈良で評判の保育園とても楽しそうにしているし、頑張り屋ですねとうことでしはた。ここで言われたのが「〇〇君はお母さんに愛されているのがよくわかるお子さん。お母さんに愛されている土台があるから、保育園で頑張ることができるんですよ」と言ってもらえた事です。私はこの言葉が本当に感動的で忘れてません。子育てに自信がなかったので、客観的にプロの方にそう言ってもらえたのが、本当にありがたかったです。「お子さんもいろいろいて、厳しいだけのお母さんで家で甘えられないと保育士にとても甘えてきたり情緒不安定だったりすることもいるんです。そういったことは〇〇君はまったくない。頑張り屋さんだから、小学生になっても大丈夫だとおもいますよ。乗り越えられるでしょう」と言ってもらえました。その言葉を励みにこれからも子育て頑張っていきたいとおもいました。
-
保育園の先生に言われた素晴らしい言葉が今でも励みになっています。
-
幼稚園の先生の嬉しい気遣い
こんにちは。僕は31歳の男性です。その神戸でインターナショナルスクールとなるとも職業としてはフリーランスのライターとして活動しております。本日は僕の友人(男性)の子供(男の子)が通う幼稚園の先生の気遣いについて感動しましたので、そのエピソードを書いていきたいと思います。友人の奥さんがいつものように子供(男の子)を幼稚園まで送っていくと、幼稚園の校門の前に先生が立っており、笑顔で「おはようございます!」と挨拶をしてくれて、子供の体調や更には親御さんの体調等にまで気を遣ってお話をしてくれる素敵な先生だと言っておりました。胃カメラ検査で痛みが少ないクリニックはどこにも僕も「今時珍しい先生だな」というと、「そうだろ?うちの奥さんもビックリした。と言っていたよ。あそこまで人を思いやれる人って中々いないってね」この話を聞いた時に、感動したのですが、更に感動するエピソードがあります。それは先生が自腹でディスカウントショップにて、携帯ようのアルコールジェルを自分の受け持っている子供たちに買い与えたのです。(もちろんですが、新型コロナウイルス対策としてです。)この行為に保護者たちは、「本当に素敵な先生」「自腹を切るってすごいよね」と評判らしいですし、僕の友人も「本当に人を思いやれる人であり、子供たちを愛しているんだな」と言っておりました。このような素敵な先生が増えてくれるといいなぁ。と思いました。
-
困っていることを覚えてくれていた先生
息子が通っている幼稚園の担任の先生に、覚えていてもらえて嬉しかったことがあります。多くのエレメンタリースクールの中で神戸でならそれは子供の健康について困っていたことです。息子は、トイレトレーニングがうまく進まず、加えて便秘がちです。先生にもそのことを伝えようと思い、「お腹が張って機嫌が悪くなることがある」と連絡ノートに書いてやりとりをしたことがありました。それから1ヶ月後に、幼稚園での参観日がありました。子供達の活動を見学して、保護者懇談が終わり、帰ろうとした時に、担任の先生に呼び止められました。「なんだろう?」と思っていると、先生の手には新聞の切り抜きが。姫路のおすすめ根管治療専門医ならどこかといえば「前に、便秘で悩まれていたので、こんな記事を見付けたので、良かったら参考にしてください」と、言って子供の便秘に関する記事が書かれた新聞の切り抜きを渡してくれました。以前相談したことを覚えてくれていて、新聞記事を見た時に自分の息子を思い出してくれたくれたことに、とても嬉しくなりました。私は専業主婦で、実家も義理の実家も遠方で、コロナウイルスの流行から更に近くに接する大人が本当に数少なくなってしまったので、幼稚園の先生に優しく接してもらえていることが、とても心の支えになっているな、と思いました。
-
鬼のような先生と20年ぶりの再会
私は、今はもう小学校も無くなってしまった田舎に住んでいたので、保育園もクラスは複式のとても小さな所で、先生はN先生とM先生のお二人だけでした。神戸もインターナショナルスクールと呼べることにN先生はとても優しく皆に好かれていましたが、M先生は鬼のように怖い先生で、M先生の姿が見えた途端、幼いながらにピリピリした記憶があります。特に食べ物に厳しく、絶対に給食を残してはいけないと、他の子達がお昼休みで遊んでいる中、間食するまで泣きながら給食を食べている子の様子を今でも思い出す事ができます。好き嫌いのとても多い同級生の女子と、たまたま嫌いな物が出た日替わりの子。毎日そんな感じでした。
11才の頃、尼崎の胃カメラ検査で評判のクリニックではと私は引っ越しましたが、社会人になったある日、かつて住んでいた町へ親戚を訪ねて行き、長閑な田舎町を懐かしく散歩していると、なんと畑仕事をするM先生をお見掛けしました。そう言えばM先生は同じ町に住んでいましたが、とにかく怖かったので、お住いも遠巻きに見ていた程度でした。その先生を20年ぶりくらいにお見掛けしたのです。
先生は私に気付き「こんにちは」と挨拶され、「ん…?○○ちゃん?」とかつて同じ小さな町に住み、小さな保育園を巣立った私の名を呼んで下さったのです。
先生はとても小さく、とてもにこやかで、大人になった私は「ええ!M先生ってこんな人だった?こんなに軟らかな、にこやかな人だった?」と内心驚きながらも、先生が近況を訪ねて下さるままに少しお話をしました。
M先生はきっと良い先生だったのだろう、好き嫌いをなくす事、私達の良い習慣付けや健康作りに一生懸命だったのだろう、幼い私はそれに気付けなかった…と、会えてよかったと、先生が大好きになった私です。 -
ずぶ濡れの私を気遣ってくれた先生
私が保育園に通っていた1996年の梅雨の真っただ中。年齢にして5歳になったばかりの頃と記憶しています。この日、そのエレメンタリースクールなら神戸でもこんなにも忘れられない出来事が起こりました。今でも鮮明に頭の中を駆け巡る記憶です。
この日、庭で遊んでいたら急に空が分厚い雨雲で真っ暗になりました。私はその時、園の側溝でミミズを捕まえて遊んでいました。同級生達はそれを見て急いで教室に走って戻りましたが、私は途中で転んでしまいました。痛くて泣いている間に雨にずぶ濡れになりました。
メディカルゲートがおすすめするクリニックはもっと雨でずぶ濡れになって困り果てた私を見て、担任の先生は替えのTシャツとズボンを出してくれました。私は替えの衣類をその日に送迎した母から渡されていなかったので、このまま母に頼んで着替えるために家に一旦帰してもらおうかと思ったほどでした。ですが、この気遣いに私はまず第一に先生に「ありがとう」と言い、それに対して先生は「大切な保育園の仲間だから当然だよ!」と返してくれました。辛い時に優しくしてもらった経験というのは、現在(2020年12月時点)覚えている中ではこの時が初めてです。
2014年3月に大学を卒業し、どうやって神戸のインターナショナルスクールには私が保育園の先生。梅雨の季節に用意するのは、勿論園児が雨に濡れた時のための緊急用の衣類です。 -
これでお揃いだねと笑った先生
私が幼稚園の頃。父がなぜか散髪にすごいこっていて、そんなバイリンガルスクールでは神戸のここがよいと私の髪はすべて父親がカットしていたんです。そのおかげで、私の髪型は頻繁に変わっていたんです。
そんなある日。父が、いつものように髪を切っていたら、私が大きくくしゃみをしてしまい、その時にずれてしまい、私の前髪はバッサリ切られてしまったんです。
鏡で見た私は、すぐにワンワン泣き出してしまい、幼稚園には行かないと言ったんです。だって、きっとからかわれると思ったんです。神戸へホームページ制作でもいえるのはそれでなくても、幼稚園には意地悪をする男の子がいるのに、こんな髪型で行ったら意地悪をされると思ったんです。
両親も、私があんまり行かないと言うので、両親も匙を投げたみたいです。数日たって、先生が様子を見に来てくれました。
先生は、恥ずかしがる私に、大丈夫だと、笑わないと言ってくれました。
そして、先生は本当に笑いませんでした。私は、そのことに少しだけ勇気をもらいました。
先生は、いつでも幼稚園においでねと言って帰っていきました。
根管治療でおすすめの東京の歯科医院はここでももう私は、前髪は恥ずかしいものの、先生や友達に会いたい気持ちが強くなって、幼稚園へと行きました。
案の定、みんなに前髪のことであれこれ言われました。
泣きそうになっていると、先生が入ってきました。途端にみんながザワザワし始めたんです。
振り向くと、なんと先生の前髪も眉毛のかなり上辺りで切ってあるんです。
どうしてインターナショナルスクールの神戸はもうこれでお揃いだねと先生が笑ってくれて、私も笑っちゃいました。
今ではいい思い出です。 -
保育園の先生に言われてハッとした一言
娘が通っていた保育園は市内でも一番大人数の子どもを預かる、いわゆるマンモス保育園です。音楽や体育に力を入れており、文字の読み書きも年長のときには全員ができる状態で卒園していきます。大人でも難しいような、運動や合奏をこなす姿を見て毎年感動できる教育をしてくれる保育園でした。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にもそんな保育園なので、自分のことは自分でできることも多く、割としっかりした子がたくさんいます。うちの子もそんな中で鍛えられて、しっかりした子に育っていたのだと思います。しかし、その反動で家でもすぐに疲れてしまい、夕飯の前に「眠い!」と言いながら泣くこともしばしば。親としては仕事から帰ってきて、夕食から風呂の流れはなるべくスムーズにしたいのに、グズグズされるとイラっとしてしまいますよね。そんなグズグズが数日続いた中でお迎えに行ったら、先生から「〇ちゃんはしっかりしてるね!」とお褒めの言葉が。とてもうれしかったのですが、毎日のグズグズのことを話すと「そうなんだ!じゃぁ、〇ちゃんは泣いちゃうくらい保育園で一生懸命なんだね!今日もいっぱい泣けるかな?」と元気に笑って話しかけてくれたのです。目先のグズグズが嫌で先生に告げ口しちゃったと思ったのですが、この「いっぱい泣けるかな?」でハッとさせられました。そうか、泣くことは頑張っている証拠なんだな、と。まだ疲れていること自体が辛くて泣いてしまうのは当たり前の年齢の子に、泣くなというのはかわいそうなんだなとも思えました。それからというもの、「今日がんばった分泣いちゃおう!!」と前向きになれました。あれから少しして、疲れていてもグズグズしなくなった娘。成長したんだなと思います。あの時の先生の言葉を思い出すたびに、今でも私を優しい気持ちにさせてくれています。
-
保育園で楽しかった事の中での一番でした。
東京から引っ越して来てお受験を経験していたので2歳で文字が読めた事のあり、神戸でもインターナショナルスクールといえる学校でも保育園で2学年上のクラスに入らされると、他の子どものカバンに書かれた名前を読んでは帰りに配るのがいつの間にか私の役目になっていました。
ここでも評判になっている大和高田の保育園はそんな中で、ある時クラスの先生が自分には小学校四年生の子どもがいるのだけど、その子どもの楽譜を渡され弾けるか尋ねられました。
東京のお受験には当時歌を歌う課題が出される事もありましたので歌を歌う度に渡されたのがきっかけで楽譜が読める様になっていましたから、その場で直ぐにクラスのオルガンで弾いてみたところ先生はやっぱり出来る様だねと嬉しそうに言われると、一人で奈良で話題の保育園を大切にするとどうりで体育会の太鼓の練習で間違った事もないし本当は物足りないのでしょうと言われてしまった時には気付かれていた事を幼心に焦りました。
それでも先生が褒めて優しく接してくれたので、楽しく過ごしていましたが、親たちが来る発表会でピアノを私に弾く様に言われましたので、その通りにしたところ後から聞けばそれが市内初の保育園児が弾いた発表会になったそうで、どうしても神戸ならインターナショナルスクールは市が配布している広報に掲載されてしまい、プレッシャーを感じましたが今では一番心に残る良い思い出となりました。 -
保育園の先生に優しくしてくれた話
私の家族は母子家庭です。神戸でどんなインターナショナルスクールといえば弟が三つ下にいて私が4歳くらいには父親がいなく母親一人で育ててくれました。うちの家族は元々共働きで仕事をしていました。ですのでいつも仕事が早く終わる方が保育園に迎えにきていて先生方も私の両親が共働きだったことは知っていたんだと思います。ある日うちの家族は家族会議をして母親の方についていくかまたは父親の方についていくか会議が行われて兄弟二人とも母親についていくことに決まりました。そこから私たち兄弟は元気がなくなっていたようです。ずっと一人で遊んでいたり毎日外で遊ぶのが好きでお友達と走り回っていた私が全く出なくなっていました。そんな私が室内でおもちゃで遊んでいると女性の先生がいつも横で見守ってくれていました。一緒に遊ぶ時もありましたが何か作業をしながらいつもそばにいてくれました。芦屋でおすすめの歯医者が特徴別でいうとそこには今考えるとすごく心配をかけてしまっていて見にきてくれていたんだなと思います。しかもいつも同じ先生が遊んでくれたり見ていてくれたりしていました。流石に年中くらいの年だったと思いますが自分ちの現状を理解していたはずで先生がそばにいてくれていることで何だか安心感がありました。先生にはこの場であの時私を気にかけてくれてありがとうと一言お伝えしたいです。
-
「弟の靴下まで編んでくれた先生の事は一生忘れません!ありがとう!」
こんばんは。僕は31歳の男性です。現在の職業としてはフリーランスのライターとして活動中です。神戸でもインターナショナルスクールといえるものには僕が幼稚園だった頃のエピソードで、とても嬉しいエピソードがありますので今日はそのエピソードについて記事を執筆していきたいと思います。僕は身体が弱くて幼稚園の年長からしか行けませんでした。とても周囲から孤立していた僕でしたが、そんな僕に対してまるで母親のように接してくれた先生がおりました。その先生のお蔭で孤立することもなくなり、すぐに友達ができて楽しい幼稚園ライフを送っておりました。岡山でおすすめの根管治療ならここ以外にはもっとそんな時に僕の母親が妊娠をして弟が出来たということが分かりました!この時は「僕にも弟ができるんだ!」と思って嬉しかったことを昨日のように覚えております。あまりにも嬉しくて、先生に言ったら「そう!良かったわねぇ~!おめでとう」ととても喜んでくださいました。そして、それから3ヶ月後に出産をした母親でした。落ち着いてから先生が、「これお母さんに渡してね」と言って可愛らしい包みをくれました。それを母親に渡したら母親は嬉しくて泣いておりました。すぐに幼稚園に電話をしてから、次の日に先生に会いに行ったそうです。母親は「先生はとても子供が好きな人なんだよ。●は先生を大切にしないとダメだよ」と言っておりました。母親は今でもこの時に先生が手作りで編んでくれた靴下を大切に保管しております。この間、コンビニで先生に偶然お会いして、この時の靴下の事をお話したら、とても喜んでおりました。そして、「コロナに気をつけようね!」という感じでお別れしたのですが、今でも子供が好きとかで幼稚園に非常勤で働いているらしいです。このような先生は本当に生徒や保護者からするととても素敵な先生ですし、大切にしたい先生だと思いました。