長女のコハルが3歳の時に次女が産まれ、こまめにコハルの面倒を見てあげることができなくなったので、コハルを保育園に預けることにしました。これらの多くはエレメンタリースクールから神戸でも彼女はとても人見知りが激しかったので、保育園に預けるのはとても心配でした。通園が始まってから担任のユウコ先生に聞いたところ、やはりコハルはお友達となじむことができずに、いつも一人でおもちゃで遊んでいるそうです。それもやむを得ないと思い、特にユウコ先生には何もお願いしませんでした。でも、求人の保育士は奈良から大和高田で見つけるなんてある日の午後、お迎えに行ったときに、ユウコ先生からこんなことを言われました。「コハルちゃんはアンパンマンが大好きですね。今日、アンパンマンの音楽をかけたところ、部屋の中心で大きな声で歌いながら踊っていましたよ!」私はそれを聞いて少しうれしくなりました。でも、安心したのもつかの間で、次の日からはなかなかエンジンがかからず、いくらアンパンマンの音楽をかけても反応しないそうです。そしてある日、ユウコ先生の大胆な作戦が始まりました。先生はなんと自前でアンパンマンのエプロンを買って保育園に着てきたのです。そして、ジーンズのお尻のところに、ここで一番奈良で話題の保育園がどこからといってもアンパンマンのアップリケを刺繍で貼り付けてきました。帽子から靴までいろいろとワッペンやシールをつけてきたので、全身アンパンマンだらけでした。そんなユウコ先生をみてコハルは、朝からがぜんエンジン全開になったそうです。アンパンマンマーチで踊り狂って、お友達がいっしょに踊ろうと近づいてきたら、その手を払いのけてセンターで歌い続けたそうです。そんなことがあった後、都合があってコハルは保育園を辞めました。でも、辞めた後もコハルは、親に怒られた時には、泣きながら「ユウコ先生ー」と、やさしかった先生の名前を呼んで助けを求めるのでした。コハルが5歳になった時に、駅で偶然ユウコ先生に出会いました。先生はもちろんコハルを覚えていてくれて、ぎゅっとコハルのことを強く抱きしめてくれました。どうやっても神戸のインターナショナルスクールではそれからはもうユウコ先生に会うこともないまま、私たちは海外に引っ越しましたが、とっても嬉しくて楽しかった、保育園での大切な大切な想い出です。