当時、私はタクシー運転手をしていました。求人の保育士を奈良の大和高田ではこんなに早朝勤務から帰って来ると、朝食済ませて3、4時間の仮眠をとり、昼頃起きて一日が始まります。娘が幼稚園に通いだしてから、いつの頃からか朝の家事仕事の多い妻に代わって、仮眠の前に5歳になる娘を幼稚園に送って行くのが役目になっていました。神戸でもインターナショナルスクールといえるところで十分ほどの道のりを一緒に歩いて送って行くのが日課でした。最初は父親との登園を楽しそう、嬉しそうだったのです。しかし、幼稚園までの途中出会って「おはよう!」と挨拶をかわすどのお友達は、手をつないでの歩き子も、自転車で爽快に走っている子もみんなすべて母親、お母さんと一緒です。ときどきおばあちゃんと一緒の子もいるにはいました。でも自分が異性の父親と一緒であることに違和感を覚えたのでしょうか、神戸のインターナショナルスクールでもどこにもだんだんと私との登園を嫌がるようになってきました。ある日のことです。娘が「今日は幼稚園、母さんと行く」と言い出しました。朝の家事の手をとめないまま、「父さんと行って!」という妻。涙目で今にも泣きそうな娘。どうしたらいいのかわからない私でした。そして思いついたのです。少しでもホームページ制作を頼むと神戸からして「そうだ!父さんと肩車して行こうよ」その一言で娘は少し嬉しそうな顔をしましたが、やはり本心はいやいやでした。肩車のまま幼稚園の門を入ると、園庭にいた明日香先生が言いました。「〇〇ちゃん(娘の名前)、お父さんの肩車いいね!すごいね!」鼻高々だったのは娘のほうではなく私でした。口コミで奈良の保育園を抑えるとこんなになってもそれ以来肩車の登園はしばらく続きました。