私は幼いころ、いつも両親が近くにいないと不安で泣き出してしまう子供でした。どんな保育士を採用できる大和高田の公園や児童館に遊びに行っても両親のそばで静かにしていて、いわゆる引っ込み思案のような内気な性格でした。親から離れることが出来なかったため、友達はできず、幼稚園にいてもお弁当を一人だけ食べることが出来ず家に帰ってから食べたり、幼稚園の行きと帰りのバスにも乗ることが出来ず母親が自転車で迎えてきてくれるほどでした。この話題では奈良の保育園が一番とそんな私を救ってくれたのは幼稚園の担任の先生でした。内気な性格の私に対して何度も話しかけて頂いたり、走るのが速くなったり、何か作ったときは必ず褒めてくれました。年に一度行われる幼稚園のお遊戯会では「鶴の恩返し」の主人公に担任の先生が推薦してくれたおかげでお鶴役を務め、演技の練習や踊りを通していく中で人の前にも堂々と立つことが出来るようになりました。親から離れられずにいた私が幼稚園に行きたいと思うようになりいつしか誰よりも早く幼稚園に到着し先生とお話をするようになっていました。幼少期の貴重な時間を幼稚園の自分の先生が支えてくれた結果楽しい思い出がたくさん残せたり、内気だった性格を少しでも明るい性格に近づくことが出来たのは先生のおかげだと思っています。とてもいい経験、思い出になりました。
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幼稚園の先生のおかげで明るくなった
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弟の先生の言葉
私と弟は9歳離れていて、多くはエレメンタリースクールからこんなに神戸でも弟は生まれた時から可愛くて可愛くて仕方がなかった。家族のために働いていてあまり帰ってこない父。育児があり仕事は日数を減らしていたが時々夕飯作りが辛そうな母。それを見ていたら私も何かしなきゃ自然にミルクもオムツ替えも離乳食作りも出来るようになっていた。9つ下の弟が保育園に通う時には私は中学生で、部活もあり、なかなか帰宅が遅くなることも多くなった。それでも、両親がお迎えに間に合わない日は私が迎えに行っていた。友達との遊びの約束や、先輩の誘いも断っていて、胸にチリチリと痛むものがあったが見て見ぬふりをしていた。そんなとあるテスト期間中の学校が早く終わった日、いつものようにお迎えに向かう片手には翌日のテスト対策集を握り締めていた。
宝塚市で根管治療ならおすすめはここでといっても夜遅くまで勉強したが、それでも隙間時間に勉強した。いつものように、担任の先生な挨拶がてら、お迎えに来た旨を伝え、弟を待っていると、そのまま職員室に案内された。わけがわからず、弟が何か問題を起こしたのか、逆に弟がトラブルに巻き込まれたの焦った。先生は、家に帰って面倒みたら勉強出来ないだろうから、他の園児達がみんな帰るまでのあと30分、良ければここで勉強していってと言ってくれた。知らず知らずに苦しさを抱えていたことを、お迎えに行っていたことから気付いてくれていたようだった。可愛い可愛い弟を嫌う手前の精神だったと今なら思える。あの時声をかけてくれた先生、本当にありがとうございます。今は少し生意気だけど、相変わらず可愛い弟です。 -
息子が通った幼稚園の園長先生の思い出
私たち夫婦は、シンプルなファッションが好きなので、子供も自然とそのような洋服や靴などを選びがちになってしまっていました。しかし、おおくの保育士を大和高田で採用するならばと幼稚園のお友達が戦隊ものの靴や洋服を着ていると欲しいとお願いされていたんですけど、そのまま流してしまっていました。ある日、私の祖母と息子と買い物に行ったときに、戦隊もののスニーカーを買ってきたんです。すぐに履けなくなるからと、少し大きめのサイズを。おすすめの医院、歯科医院を探すならメディカルゲートだと息子は大喜びでしたが、サイズが合わずに転んだら危ないからと園には履いていかない約束で寝たんです。息子はぐずっていましたが。次の日、幼稚園に行くのに、息子が先に車に乗り、いつも通り、出発すると、そうです。戦隊もののスニーカーを履いてきてしまったんです。園の駐車場で息子を怒ると、大泣き。しかし、時間になったので、そのまま教室に送ると、泣いている息子を見て、園長がやってきてくれました。こんなバイリンガルスクールでは神戸で多くの事情を説明すると、笑乍ら、分かりましたと言い、そのままお願いして私は帰宅。転んでいないかなと心配になりながらも、迎えの時間が来たので行くと、歩きにくそうですが喜んで靴をみんなに自慢している息子がいました。一人で奈良で話題の保育園を大切にしたいといって園長先生が踵の部分にティッシュを詰めてくれたので、朝よりは歩きやすくなったようです。親がいいと思ったものを必ずしも子供がいいと思うわけではないこと、また息子が曾祖母と出かけたときの話、靴を買ってくれた話などを嬉しそうにしてくれたと話てくれました。違うなと思っても、怒らないでなんで息子の話を聞いてあげられなかったのかと反省して、子供の気持ちを考えて、より行動するようになりました。
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ほんの数時間のその一瞬
保育士を大和高田で採用するならこの人数の多いマンモス幼稚園に入園した次の日のことです。初めて息子を預けドキドキしながらお迎えに行ったとき私の顔を見た先生は『〇〇くーん!お母さんお迎えにきたよー!』って言ったんです!私は【えっ?!どうして私が〇〇のお母さんだと分かったの?!】とかなり驚きました。口コミで保育園は奈良が一番に良いとだって入園式ではたったの2時間ほどいただけでしたし、式では子どもと保護者は別々に座ります。マンモス幼稚園だったため全員で60人、クラスは20人とかなり多く集合写真でも保護者は階段の上段、子どもたちは下段に別れて撮影したのでわからないはずなのに。その一瞬の出来事に【あー、この幼稚園に預けて良かった!安心だなぁ】と思いました。後日談ですが、次の年に役員になった私は新年少さんの入園式の次の日にたまたま給湯室に行ったんです。そしたら、新年少さんの入園式のときの集合写真が貼ってあるんですね。そう!この一枚の集合写真でたった一日でこの給湯室で覚えたということですよね、しかも保護者と子どもセットで!そしてここからは想像ですが、入園式後集合写真直前までは子どもは保護者といたんですが、階段に移動した時のその瞬間に幼稚園側は動画を録っていたのではないでしょうか。それで子どもと保護者が一致できたのではないのかと思いました。まだ上手に話せない子もいる中で先生の仕事ぶりには頭が上がらないなあと。素晴らしい幼稚園に出会えて幸せでした
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今までどうもありがとう先生
いつも泣いていた女児のAちゃん。あんなに神戸でインターナショナルスクールというともとても遠いところからわざわざ車で登園しています。3年保育で入ってきました。本当によく泣く子でフリーとして働いていた私は、いつも一緒にウサギを見に行ったり、お散歩したりしていました。
メディカルゲートで出会える理想のクリニックとも次第に幼稚園に慣れて、私と一緒に過ごす時間よりも友達と過ごす方が楽しく思えたようで、私のところにはあまり来なくなりました。年長になると、友達や担任の先生と一緒に楽しそうに過ごし、毎日を過ごしていました。この奈良で大和高田の保育士を求人で探すには卒園前になると、ふと「よく泣いていたAちゃんがもう小学校かあ。早いなあ。」なんて思いながら、卒園式の練習を見ていました。
そして、卒園式当日、無事に式を執り行いました。そして、たくさんのおめでとうの言葉や写真を撮ったりと幸せな時間をみんなで共有していると、ふとAちゃんとご両親が私のところへやってきました。
保護者の方は号泣して、私に話をしてくれました。
この口コミの奈良を保育園からは見つけるとは「実はここの幼稚園に入園することを決めたのは、先生がいたからなんです。入園説明会の時に、いろんな質問をしても、にこやかに答えてくださり、笑顔がたくさんあって、ここに通わせたいと思い、毎日車で30分かけて登園しました。本当に登園させて良かったです。」とのことでした。
神戸のインターナショナルスクールといえばもうそれを聞いて、普段から笑顔と心がけていることが、このような形で届いていたことが本当に嬉しくその時、これからも頑張っていこうと思いました。 -
保育園の先生に言われてハッとした一言
娘が通っていた保育園は市内でも一番大人数の子どもを預かる、いわゆるマンモス保育園です。音楽や体育に力を入れており、文字の読み書きも年長のときには全員ができる状態で卒園していきます。大人でも難しいような、運動や合奏をこなす姿を見て毎年感動できる教育をしてくれる保育園でした。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にもそんな保育園なので、自分のことは自分でできることも多く、割としっかりした子がたくさんいます。うちの子もそんな中で鍛えられて、しっかりした子に育っていたのだと思います。しかし、その反動で家でもすぐに疲れてしまい、夕飯の前に「眠い!」と言いながら泣くこともしばしば。親としては仕事から帰ってきて、夕食から風呂の流れはなるべくスムーズにしたいのに、グズグズされるとイラっとしてしまいますよね。そんなグズグズが数日続いた中でお迎えに行ったら、先生から「〇ちゃんはしっかりしてるね!」とお褒めの言葉が。とてもうれしかったのですが、毎日のグズグズのことを話すと「そうなんだ!じゃぁ、〇ちゃんは泣いちゃうくらい保育園で一生懸命なんだね!今日もいっぱい泣けるかな?」と元気に笑って話しかけてくれたのです。目先のグズグズが嫌で先生に告げ口しちゃったと思ったのですが、この「いっぱい泣けるかな?」でハッとさせられました。そうか、泣くことは頑張っている証拠なんだな、と。まだ疲れていること自体が辛くて泣いてしまうのは当たり前の年齢の子に、泣くなというのはかわいそうなんだなとも思えました。それからというもの、「今日がんばった分泣いちゃおう!!」と前向きになれました。あれから少しして、疲れていてもグズグズしなくなった娘。成長したんだなと思います。あの時の先生の言葉を思い出すたびに、今でも私を優しい気持ちにさせてくれています。
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先生に褒められて嬉しいのは子供だけじゃない。先生に褒められて泣くほど嬉しかった話。
幼稚園に通う息子が忘れ物をしてしまったことに気づいて慌てて届けに行った時の話です。忘れ物を無事に届け帰ろうとしたときに園内を歩いていた教頭先生に声を掛けられました。人気の奈良でも大和高田で保育園が50代のふくよかで笑顔が素敵な女性の教頭先生です。「せっかく来てくださったのだから少し○○君(息子)の様子を見ていかれませんか?」と仰ってくださいました。普段は幼稚園バスで登園しているため、園での息子の様子を見る機会があまりない私に気を遣ってくださったのだと思います。園庭の遊具で遊んでいる息子を少し遠くからこっそりと眺めていると教頭先生が「○○君が頑張り屋さんでいい子なのはね、お母さんのおかげなんですよ。どこでも評判の奈良で保育園を見つけるにはお母さんはこんな細い腕でいつも頑張っているんですね、○○くんママ偉い!素敵!」と私を褒めてくれました。先生がふくよかなだけで私は至って普通体系なので少しくすっとしてしまいましたが、主人が単身赴任中で、実家も他県にあり近くに愚痴をこぼしたり、遠慮せずに頼ることのできる人がいなかった私は、常に一人で頑張らなくちゃと強く思っていたため、教頭先生に褒めてもらったことで、自分の頑張りが認めてもらえたようでとても満たされた気持ちになり、思わず涙がこぼれてしまいました。先生に褒められて嬉しいのは子供だけでなく親も一緒なんだなという事に気づきました。そして私も息子の頑張りをたくさん認めてたくさん褒めてあげなくちゃと思いました。
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保育園の先生にサッカーの面白さを教わった
小学校、中学校、高校、大学、そして現在も、こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこにか一貫して一つの趣味があります。それはサッカーです。実力はと言われれば、決してうまくはありませんが、プレイするのも、また観戦するのも、ゲームでプレイするのも、本当に楽しいんですよね。今の自分の生活からサッカーを取り上げられれば、きっと面白くない人生になるでしょう。それくらいなくてはならない存在になっています。で、このサッカー、何がきっかけでのめりこんだかというと、保育園の時の先生です。通っていた保育園に、めちゃくちゃサッカーがうまい先生(男性)がいて、その人にいろいろと教わったというわけ。何やら、プロに手が届くようなところまでいったほどの実力の持ち主で、性格もすごく優しかったし、見た目もロン毛でかっこよかったのを覚えています。同年代の女の子たち(といっても保育園児ですがw)も、みんなキャーキャー言ってたっけ。そういうのもあって、この先生にあこがれるようになり、同時にサッカーにも興味を持つようになったのでした。メディカルゲートがおすすめするクリニックはそこに残念ながらプロになる夢はかなえられませんでしたが、サッカーという何にも代えがたい趣味に出会わせてくれた先生には心から感謝しています。いつの日か、一緒にサッカーしたいですね。
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子供だけではなく親の私までサポートしてくださった先生の話。
1番上の子が年長さんで、卒業まであと3ヶ月程になった時の話です。このエレメンタリースクールなら神戸でもこんなにも年長になると小学校の事を意識した教育が保育園でも始まり、子供たちは保育園生活最後の年長としての役割を主とし、終わりが近づいていくにつれて、今度は小学校入学を意識した教育となり、卒業まで3ヶ月となると、子供たちは実際に小学校を見学したり、小学校の行事に参加させてもらったり、保護者は説明会に参加したり、準備が忙しくなります。ちょうど入学の3ヶ月程前に、次年度入学の、つまり、年長の子たちは身体的に異常がないか、健康診断、身体検査を受けます。私は子供と一緒に指定された通りに検査を受けていました。普段から元気いっぱいに遊ぶ子だったので、何も心配せずに無事に検査を終えてその日は帰りました。ですが、後日我が家に届いた子供の検査結果は右耳に異常あり、再検査の指示が記された検査結果でした。それでもまだ心配しておらず、再検査を受ければ異常なしの結果が出るだろうとすぐに再検査の予約をし、検査を受けに行きました。結果は右耳難聴の疑い。目の前が真っ暗になり、検査の報告をしに保育園の先生に会いに行きました。検査結果の説明をしながら、私は感情が溢れてしまい、先生の目の前で話しながら泣いてしまいました。こんな経験は初めてでした。先生は場所を変えて私が落ち着くまで話を聞いてくださり、子供がいつもお世話になっている先生ですが、保護者の私の異常まで察してサポートしてくださいました。結局子供は治療すれば治るという事でその後無事完治したのですが、その時の子供の担任をしてくださった先生には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
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「お手紙を頂戴」 娘の4歳の記録を共有、保育園のひよこ先生
娘が4才の時の話です。娘は、私が全く教えていないにもかかわらず、奈良でも評判の大和高田の保育園では4歳上の姉の真似をして平仮名や簡単な漢字、アルファベットが書けるようになっていました。しかし幼い子供の文字は、左右が逆の鏡文字だったり、書き方無視の単なる形の模倣であったりします(例えば「す」なら、十を書いて縦棒の下の方に小さな丸をくっつけるような)。ある日娘がこう言います。「先生がお手紙を頂戴って言うの」と。話題では奈良の保育園が一番と娘の担当はまだ保育士になりたてのお若い女性で、娘は先生を「ひよこ先生」と呼んでとても慕っていました。娘も幼心に先生の可愛さや初々しさを感じていたのでしょう。一方先生は、保育園でも書いていた娘の文字が大好きで感動すらされていたようです。勿論、娘は嬉しそうに一生懸命何やら書いて、先生にお渡ししました。それから十年後、私と娘は、1歳位の女の子を連れた先生にスーパーでバッタリお会いしました。娘は全く先生を覚えておらず、ただ恥ずかしそうにしていましたが、私が「先生、覚えていらっしゃいますか?こんなに大きくなりました」とご挨拶すると、「あの時の手紙を今も大事に持っています」と先生。先生もお母さんになり、もっと可愛いお手紙を一杯書いてもらえる事でしょう。