生後6か月から、口コミで奈良なら大和高田の保育園がここの保育園のお世話になっていました。初めての孫で男の子。それはそれは大切な子ですが、離れて暮らしているので毎日お世話に行くわけにもいきません。息子夫婦が選びに選んだ保育園なら大丈夫だろうと通わせることになりました。ママも仕事をしているので週に一度くらいはお迎えに行ってほしいと電話があります。もちろん私にとっては孫に堂々と会えるチャンスです。保育園が評判の奈良でもこんなにも ワクワクしながらお迎えに向かいました。いつもママが連絡帳に書いてくれるので、園につくと、もう玄関ちかくで先生がだっこで待機してくれています。「おばあちゃん来たよ~」と先生が言うと、孫が私を見つけて声をあげました。孫にも先生にも歓迎されている気がして、いちばん嬉しい瞬間です。さっそく抱っこを交代して、着替えや荷物を受取ります。その時、先生がふっとひと言おっしゃったのです。「この子は大事にされてる子やなあ」私はびっくり。こんなに小さいうちから保育園に預けるのは、ちょっと不憫だと内心思っていたからです。私の驚きを察したのか、さらに先生がもうひと言。「大事にされてる子はわかるんですよ。孫ちゃんはとっても大事にされてます」そうですね、大人の勝手な思い込みなんて赤ちゃんには関係ないことです。長男夫婦にとっては初めての子ども、私には初孫、毎日あたふたしていたこともふくめてほめていただけた気がして、じんわり嬉しかったのです。今でも保育園の近くを通るたびに、先生の笑顔とあの言葉を思い出します。
-
先生はなんでもお見通し
-
「お手紙を頂戴」 娘の4歳の記録を共有、保育園のひよこ先生
娘が4才の時の話です。娘は、私が全く教えていないにもかかわらず、奈良でも評判の大和高田の保育園では4歳上の姉の真似をして平仮名や簡単な漢字、アルファベットが書けるようになっていました。しかし幼い子供の文字は、左右が逆の鏡文字だったり、書き方無視の単なる形の模倣であったりします(例えば「す」なら、十を書いて縦棒の下の方に小さな丸をくっつけるような)。ある日娘がこう言います。「先生がお手紙を頂戴って言うの」と。話題では奈良の保育園が一番と娘の担当はまだ保育士になりたてのお若い女性で、娘は先生を「ひよこ先生」と呼んでとても慕っていました。娘も幼心に先生の可愛さや初々しさを感じていたのでしょう。一方先生は、保育園でも書いていた娘の文字が大好きで感動すらされていたようです。勿論、娘は嬉しそうに一生懸命何やら書いて、先生にお渡ししました。それから十年後、私と娘は、1歳位の女の子を連れた先生にスーパーでバッタリお会いしました。娘は全く先生を覚えておらず、ただ恥ずかしそうにしていましたが、私が「先生、覚えていらっしゃいますか?こんなに大きくなりました」とご挨拶すると、「あの時の手紙を今も大事に持っています」と先生。先生もお母さんになり、もっと可愛いお手紙を一杯書いてもらえる事でしょう。
-
言葉の遅い息子を毎日笑顔にしてくれる幼稚園の先生
年少の息子は入園半年前の入園説明会で幼稚園に1時間だけ預けた時、服の袖がビショ濡れになるほど泣いていました。その上、言葉が遅く、他の子ほど指示を理解出来ないので、口コミで奈良なら大和高田の保育園が入園後はバスや幼稚園で泣いたりイヤがるだろうと予想していました。送迎バスが来て、どんなに泣いてもサッサと先生に受け渡そうと覚悟していたら、笑顔で息子の名前を呼んでくれた先生に手を引かれ、あっさりバスに乗り込んでくれて一安心でした。バス内はどうかなと覗くと、至って普通に座っています。「こういうモノなの?」と主人と拍子抜けしていると、息子は振り返ることもなくバスに乗って行きました。評判の奈良でも保育園はこんなにも帰りは泣き顔かなぁと想像しながら待っていましたが、泣いた形跡はなく、普通顔です。先生に降車を促され、自分の家だと気付いて降りてきた息子は、「さようなら」と言う先生に笑顔でバイバイをしています。さようならが言えないのは仕方ないにしても、言葉が遅く、初めての幼稚園で、分からない事もたくさんあっただろうに、スムーズにバスに乗って、泣くこともなく帰って来たのは、先生方のおかげとしか思えません。もちろん、同い年のお友達がたくさんいたのも嬉し楽しだったと思いますが、本当に先生が上手だと思いました。
-
幼稚園で先生にほめられた!
幼稚園に通う3歳の娘がいるのですが、家では野菜などをあまり食べません。
奈良でも大和高田で採用できる保育士はかなりの偏食で、ごはんや麺類、パン、お菓子、からあげなど決まったものしか食べません。
幼稚園に通い出して、もちろん給食にはそれ以外のものもでてきます。
この神戸でインターナショナルスクールとなると先生には予め、偏食のことを伝えていたのですが始まって1週間はご飯すら食べず。
先生と毎日相談しながら、食べてくれるかどうかを見守っていました。
ある日娘が一口だけ給食を口にしたときがあったようです。
インターナショナルスクールならこの神戸からその時に先生が他のお友達に「○○ちゃんが給食食べられたから応援してあげて!」と言ってくれたようで、皆に応援してもらたのが嬉しかったのか、その日は3口だけ給食を食べられるようになりました。
そんな日を繰り返していくうちに日に日に食べられるようになっていきました。
その報告を毎日親の私たちより喜んでしてくださる先生。
もちろん給食以外のお話もしてくださいますが、私たちが一番心配していることを自分ごとのように喜んでくれる先生に安心感と嬉しさがこみ上げてきました。
大人数の子供たちを相手にしている先生ですが、ひとりひとりの成長を我が子のように喜んでくれる先生は本当に偉大だと感じ、話題の奈良から保育園を探すとこんなにも今後も一緒に喜んでいってほしいなと感じました。 -
忘れられない!すごく優しくて頼りになる幼稚園の先生
幼稚園に通っていた頃の私はすごく人見知りで、多くのエレメンタリースクールの中で神戸では友達と呼べる子は一人しかいませんでした。その子が遊んでくれる日は2人で遊び、その子が別のお友達と遊んでいる時は輪のなかに入ることができず一人遊びをしていました。そんな日はとても寂しかったのですが、幼稚園の先生が私に声をかけてくれて一緒に絵を描いたり、手遊びなどをしてくれたのですごくホっとして嬉しかったです。どうしてインターナショナルスクールの神戸は幼稚園で遠足があったのですが、その日仲良くしている女の子が風邪で休みだと知りショックを受けました。一緒にお弁当を食べる予定だったのですが、このままでは一人でお弁当を食べなくてはいけないと思うと涙がでそうになったんです。でも幼稚園の先生がそんな私の様子に気づいてくれて、こんなに評判の保育園は奈良でもは「お弁当、先生と一緒に食べようか?美味しいフルーツ沢山持ってきたからあげるね」と優しい笑顔で言ってくれたんです。幼稚園の先生の言葉ですごく気持ちが明るくなり、遠足が楽しみになりました。お昼は先生と他の女の子たちみんなでお弁当を食べることができましたし、楽しかったです。奈良でも評判の大和高田の保育園ではここに先生を通して新しい友達を作ることに成功したんです。すごく優しくて頼りになって気遣いが素晴らしい先生のことは、一生忘れられません。
-
大人になった今も覚えている幼稚園の先生へ。先生、ありがとうございました。
私の幼稚園の先生は、まだ若く、一生懸命な先生でした。子供たちは、私を含め、そんな先生が大好きでした。ある日のことです。母が午前中で幼稚園が終わるのを忘れ、出かけてしまった日がありました。この奈良の大和高田でも保育士を求めるには当時はまだ携帯電話などがなく、あるのは自宅の電話でお迎えが来るまで先生と二人で待ちました。私はどちらかと言うと、皆の後ろに隠れているタイプで、先生のことは大好きだったけれど、先生、先生とは寄っていけない子でした。だから、人気のその先生を独占して過ごした時間はとても楽しかったです。口コミから奈良で保育園が見つかるにはどんなことをしたかも、今でも鮮明に覚えています。まず最初に、お教室のお片付けを先生と一緒にしました。それから、幼稚園で飼っているウサギのお世話をしました。いつもは子供たちが世話をするのですが、子ウサギが生まれていて、別のところにいたうさぎを今日は特別ねと言って見せてくれました。それから、お教室の掲示板に使う飾りも作りました。お友達のお母さんはお迎えに来るのに、捨てられたような気持ちになっていた私を上手に特別扱いして、不安を解消してくれました。それからというもの、私は少しずつクラスの中で、積極的に過ごすことができるようになりました。大人になってから、幼稚園の先生のお仕事は、子供が帰った後もたくさんあることを知りました。私が楽しかったあの日、先生は帰る時間がいつも以上に遅くなられただろうと思います。でも、先生、本当に楽しかったし、嬉しかったです。ありがとうございました。
-
幼稚園。初めての皆勤賞。
幼い頃の僕は病気がちな子どもで月に一度は熱を出して、年に何度かは入院もしていた。小児喘息もあり、併発すると長く休むこともあった。奈良でも評判の大和高田の保育園ではけれど性格は明るく、目立ちたがり。他の健康な友達と同じ様に無理して外ではしゃぎまわっては体調を崩し、両親や幼稚園の先生を心配させていた。年長に上がって卒園も間近に迫った1月のこと、奈良で評判の保育園を口コミするなら僕はずっと目標にしていたあることにもうすぐ手が届きそうでそわそわしていた。皆勤賞のメダル。その月に無遅刻・無欠席だった園児が翌月の頭にクラスのみんなの前で表彰される。メダルといっても小さいボール紙でできた手作りのもので、クラスの半分は毎月貰えるものであったためそれほど羨ましがられるものではなかった。しかし病気がちで入園以来一度もそれを手にしたことのない僕にとっては、特別なものであった。卒園まで残り2ヶ月、4月からは小学生になるから皆勤賞のメダルをもらえるチャンスは実質あと2回。1月も最後の週に差し掛かった。僕はあと一週間で初めて憧れのメダルを手に入れられる。残りの登園日数を指折り数えて、体調を崩さぬ様万全を尽くしていた。その執念たるや、並々ならぬもので、外遊びの時間も教室から出ない。休み時間になるたびに手を洗い続ける。担任の先生を大いに困らせた。皆勤賞まで残り数日のところ、僕は風邪をひいていた。咳が止まらずに授業時間中もゴホゴホと音を立て続けていた。担任の先生に何度か早退する様に説得をされたが首を縦に振らなかった。アマまりに頑固だったからか、「もうちょっとだけ頑張ろう、これは内緒だよ」と先生がハッカの飴をくれた、葉っぱの形をした透明の飴で口当たりがよく、少し咳がおさまった。結局次の日に熱が出てしまい、又しても僕は皆勤賞を逃してしまったが、先生と内緒で幼稚園でお菓子を食べたこと。それがなんだか嬉しかった。
-
先生との中学校の懐かしい思い出としまして
私は、中学校の頃につきましては、先生に対する思い入れとしまして、私は、一時期中学校でイジメられたことが原因で不登校になる形で、奈良では保育園の話題を聞くと自宅に引きこもってしまったことがあるのですが、先生が何度も私を立ち直らせようと手紙を送ってくれたり、イジメた生徒達と一緒に家庭を訪問してくれるような形で、私にとっては、非常にその時は放ってほいて欲しいと言う形であったのですが、何度も何度も訪問してくださる形で、毎日夜でも嫌と言う程きてくれた形でありましたので、保育士で採用できる奈良の大和高田では私も少し会ってみようかな?と言う気になってお会いしたケースがありました。もし今振り返ってみれば、しつこい位にコンタクトを取ってくださる先生がいなければ私は、今よりももっとダメ人間になっていたのではないのかな?と言う形で思ったりします。やはり恩師と言う存在は、自分のことを真剣に考えて行動にうつしてくれる人間であるのかな?と思いました。しつこい位の指導のある先生や厳しい先生程後になって出会えて良かったなと思える先生になる形でありますので、またいつ開かれるか分からない同窓会の際に先生が居られたら、その時には、私のことを覚えていらっしゃるかわかりませんがお礼を申し上げたいなと思っております。
-
誰よりも私をわかってくれた先生
私は、一人っ子ということもあったのかもしれませんが、輪の中に入ることがとても苦手でした。多くはエレメンタリースクールから神戸でも、いつも一人で絵を描いていることが多かったのです。本当は、他の子供と一緒に遊びたいと思っていたのですが、「遊ぼう」の一言すら言えないのです。
ですが、そのことを周囲の大人はなかなか気がついてはくれませんでした。
単に私が一人で過ごすことが好きな子供だと思っていたみたいで、親さえも気がつかなかったのです。
お弁当の時間も、お遊戯の時間も、いつも一人でした。
そんなときです。担任の先生が優しく声をかけてくれました。
とても優しい笑顔の、女性の先生でした。
先生は、私の絵をとっても誉めてくれました。
黒板に描いたウサギの絵を見て、その横にクマの絵を描いてくれました。そして、
「みんな~、お絵描きしよう」
と言って、皆を集めてくれました。私のまわりには、いつの間にかたくさんの園児達が囲んでいました。そして、ウサギの絵を描いたのが私だと先生が言ったのです。
途端に、周囲の視線が私に向き、私は入園して初めて友達ができました。
先生が後から私に言いました。友達は黙っていてもできない。でも、キッカケさえあればすぐに友達ができると。
「先生、ずっと知ってたよ。本当は、皆と友達になりたかったんだよね」
先生は、私の気持ちを誰よりも知っていてくれたんです。
私は、ますます先生が好きになりました。 -
幼稚園の先生のおかげで明るくなった
私は幼いころ、いつも両親が近くにいないと不安で泣き出してしまう子供でした。どんな保育士を採用できる大和高田の公園や児童館に遊びに行っても両親のそばで静かにしていて、いわゆる引っ込み思案のような内気な性格でした。親から離れることが出来なかったため、友達はできず、幼稚園にいてもお弁当を一人だけ食べることが出来ず家に帰ってから食べたり、幼稚園の行きと帰りのバスにも乗ることが出来ず母親が自転車で迎えてきてくれるほどでした。この話題では奈良の保育園が一番とそんな私を救ってくれたのは幼稚園の担任の先生でした。内気な性格の私に対して何度も話しかけて頂いたり、走るのが速くなったり、何か作ったときは必ず褒めてくれました。年に一度行われる幼稚園のお遊戯会では「鶴の恩返し」の主人公に担任の先生が推薦してくれたおかげでお鶴役を務め、演技の練習や踊りを通していく中で人の前にも堂々と立つことが出来るようになりました。親から離れられずにいた私が幼稚園に行きたいと思うようになりいつしか誰よりも早く幼稚園に到着し先生とお話をするようになっていました。幼少期の貴重な時間を幼稚園の自分の先生が支えてくれた結果楽しい思い出がたくさん残せたり、内気だった性格を少しでも明るい性格に近づくことが出来たのは先生のおかげだと思っています。とてもいい経験、思い出になりました。